小塚原回向院
プロレスの神様と呼ばれたカール・ゴッチ。
10年前、82歳で亡くなりましたが、今年の7月お墓が南千住の回向院に建立されました。

南千住と言えば「あしたのジョー」で有名な泪橋や山谷の近くの街ってイメージがありましたが、再開発により大きなマンションなどもできかなり様子が変わった街です。
故尾崎豊さんも南千住に住んでいましたね。
尾崎豊さんが亡くなったときは、有線のリクエストチャンネルが尾崎豊さんの曲ばかりになったのを覚えています。
それ以来、有線で同じアーティストばかりかかると、何かあったのではないかと思うようになってしました。
現在であれば、某国の連中のごり押しなどもあるので、そんなことも思わないんでしょうが。
~閑話休題
新しいきれいな建物の門を入ると

史跡エリアが一般の方の墓地と分けられています。

その史跡エリアの入ってすぐ右手に神様カール・ゴッチのお墓はありました。

「人は必ず歳をとる。しかし必ずしも老いる必要はない。歳は重ねるのだ。重ねればワインの様に深くなる。」と言う名言があるためか、たくさんのワインが備えられております。
墓誌にも「Never lie , never cheat , never quit. 技術と精神は常に一緒だ 決して嘘をつくな、決してごまかすな、決して放棄するな」の名言が刻まれております。

プロレスファン、特に昭和のプロレスが好きであった方は、一度参拝に行かれてはいかがでしょうか。
また、この回向院は幕末の「安政の大獄」で処刑された吉田松陰のお墓もあります。
ただ、現在吉田松陰の墓所は世田谷区の松陰神社に祀られているため、現在は墓石のみが残されております。

他にも江戸・明治の風俗史「悪役4人組」のお墓も。

中には両国の諸宗山 回向院にも祀られている「鼠小僧次郎吉」のお墓もあります。

なお、こちらのお墓は鼠小僧次郎吉の義賊に恩義を受けた人々が建てたと言われいるそうです。
あと、ここの壁には「解体新書」の扉絵がついた記念碑があります。

と言うのも「解体新書」を作成するにあたり、前野良沢、杉田玄白らが小塚原刑場を訪れ、刑死者の解剖から「ターヘル・アナトミア」の人体解剖図を検証したそうです。

江戸三大刑場の小塚原刑場で処刑された方が祀られている回向院ですが、刑場はすぐ近くの別の場所だったそうです。
10年前、82歳で亡くなりましたが、今年の7月お墓が南千住の回向院に建立されました。

南千住と言えば「あしたのジョー」で有名な泪橋や山谷の近くの街ってイメージがありましたが、再開発により大きなマンションなどもできかなり様子が変わった街です。
故尾崎豊さんも南千住に住んでいましたね。
尾崎豊さんが亡くなったときは、有線のリクエストチャンネルが尾崎豊さんの曲ばかりになったのを覚えています。
それ以来、有線で同じアーティストばかりかかると、何かあったのではないかと思うようになってしました。
現在であれば、某国の連中のごり押しなどもあるので、そんなことも思わないんでしょうが。
~閑話休題
新しいきれいな建物の門を入ると

史跡エリアが一般の方の墓地と分けられています。

その史跡エリアの入ってすぐ右手に神様カール・ゴッチのお墓はありました。

「人は必ず歳をとる。しかし必ずしも老いる必要はない。歳は重ねるのだ。重ねればワインの様に深くなる。」と言う名言があるためか、たくさんのワインが備えられております。
墓誌にも「Never lie , never cheat , never quit. 技術と精神は常に一緒だ 決して嘘をつくな、決してごまかすな、決して放棄するな」の名言が刻まれております。

プロレスファン、特に昭和のプロレスが好きであった方は、一度参拝に行かれてはいかがでしょうか。
また、この回向院は幕末の「安政の大獄」で処刑された吉田松陰のお墓もあります。
ただ、現在吉田松陰の墓所は世田谷区の松陰神社に祀られているため、現在は墓石のみが残されております。

他にも江戸・明治の風俗史「悪役4人組」のお墓も。

中には両国の諸宗山 回向院にも祀られている「鼠小僧次郎吉」のお墓もあります。

なお、こちらのお墓は鼠小僧次郎吉の義賊に恩義を受けた人々が建てたと言われいるそうです。
あと、ここの壁には「解体新書」の扉絵がついた記念碑があります。

と言うのも「解体新書」を作成するにあたり、前野良沢、杉田玄白らが小塚原刑場を訪れ、刑死者の解剖から「ターヘル・アナトミア」の人体解剖図を検証したそうです。

江戸三大刑場の小塚原刑場で処刑された方が祀られている回向院ですが、刑場はすぐ近くの別の場所だったそうです。
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